2012-05-12

当たり前のことを「呪い」と言うアホらしさ

 Togetterに「『呪い』というキーワードから発達障害の療育を考える」と題されたまとめがありました。
 
 http://togetter.com/li/299746

 ここである方は次のように語っています。

「自分の子に『君は人に迷惑をかける存在。迷惑をかけるな』と言うことは『呪い』。そうではなく『君はすばらしい存在』と語りかけるようにしていきたい」

 それに乗っかる形で、別の方はこのように語ります。

「呪いとは、障害は治すべき排除すべきもので放置すると迷惑をかける存在になるだろうという預言。この呪いをかけられた子は、障害を治し迷惑をかけない存在にならなければ愛されないというメッセージを受けとる」

 正直「アホらしい」と思いました。
 他人に対し、また社会に対し迷惑をかける人間が、愛されなかったり厄介だと思われたりするのは、至極当たり前のことではないのですか? そのためにも、迷惑をかけない人間に育てることは、最重要だと思われます。
 そんな当たり前のことを「呪い」という言葉を使って否定的にとらえている、上記のまとめ。これ、傍から見るとあたかも「障害を抱えているのだから、他人に社会に迷惑働いても、許してくれてもいいじゃん」とでも言っているかのように感じてしまいますよ。根底にそういった考え方が垣間見えるから「遵法教育はしている」と言われても、説得力を持ちません。

 また、上記まとめの中で「甘えるな 他人に迷惑をかけるな 生かされて生きることを自覚せよ」との言葉を「呪い」だと言っている箇所がありますが、これも当たり前のことではないでしょうか。後段の「奉仕活動義務付け」「こどもを厳しく『飼いならす』必要が云々」はともかくとして……
 上記まとめに集まっている方々は「早寝早起き朝御飯」も「呪い」だと思っていそうですね。


 発達障害当事者としての立場から言わせていただきますと、はっきりいって発達障害の人間は世間で間違いなく迷惑な存在・厄介モノだと思われています。
 それを踏まえると、こどもに対して「すばらしい存在」などと飾った言葉をかけるよりも、現実を伝える意味で「世間では迷惑だと思われているから、そう思われないよう、最低限の努力をしなさい」と言ってあげたほうが、よほどその子のためにはよいかと思います。自分の置かれている状況を自覚させるためにも。
 ではその「最低限の努力」とは、具体的にどうすることか。それは定型社会の中で、自分の障害に甘えずまたそれを言い訳にせずに生きていくこと。結局これが「迷惑にならないようにする」ための近道ではないかと思うのです。

 かくいう私も、基本的に「定型社会の中で、自分の障害に甘えずまたそれを言い訳にせずに生きていく」との考え方です。そして定型に対して過度に要求はしない考えです。繰り返し書いていることですが、こう書くと決まって一部の当事者や保護者から「社会に屈服している」「定型のイヌだ」と文句を言われてしまいます。
 この手の人たちの主張である「当事者は社会と敵対しなければならない」「悪いのは当事者ではなく社会」という言葉。これこそが「当事者はこうあるべきだ」という「呪い」と思えてならないのですが、いかがでしょうかねえ。 

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大阪府在住。男性。
発達障害の一種、高機能自閉症を抱える人間。
公営競技・野球・サッカーなどのスタジアムという空間が好きな自分です。
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