2012-03-18

発達障害当事者だけが精神的にしんどいのか?

 先月半ばに始まった新しい業務に、このごろようやく慣れだしてきました。
 それまでと異なる業務となることは、必然的にそれまでの生活パターンも変更せざるを得なくなるということ。ですが、ここにきてそれにも大体なじめだしました。新しい生活パターンを確立した上で、毎日を送るようになっています。


 私の場合、新しい生活パターンに慣れるまでに要する時間が、1ヶ月ほど。はたしてこれは、長いのでしょうか、短いのでしょうか?
 どちらにしても、この「慣れるまでの時間」は、私にとってかなり精神的にしんどいものを感じます。発達障害当事者の場合は、急な変化に即座に対応するのが難しいために、精神的な負担が大きいのです。

 しかしよくよく考えてみれば、この「新しいことに慣れるまでの精神的しんどさ」、発達障害当事者だろうと定型者だろうと、多かれ少なかれ感じることなのですね。ただその感じる度合いが異なるというだけの話です。いわば「しんどいのはお前だけじゃない」ということで。

 ところが、多くの発達障害当事者は
「こういうことは自分にとって精神的負担が大きい。このつらさは定型にはわかるまい」
 と、いかにも自分だけがつらい思いをしているかのような心情に陥るきらいがあるように思います。
 そして、たいていこういう人たちは「自分は悪くない。悪いのは社会」と考えるのではないでしょうか。「自分は社会の犠牲者」との意識に支配されたかのごとく。

 かくいう私も、かつてはそんな考えの持ち主でした。ゆえに「自分には特別な事情があるのだから、それに配慮せよ」と常に社会に求める考え方をしていたのです。まるで特権階級にでもなったかのような意識に支配されていました。
 そんな私は、自分の「発達障害あり」の事情を盾に、勤め先の人たちに一方的に配慮を要求したことで、「何様のつもりだ」と反発を食らってしまいました。
 ここで気づかされたのです。自分は社会で結果を出す前から、これこれこうしろと要求していた。いわば自分の事情に甘え、特権階級のごとく振る舞っていたのだと。
 それから私は考えを改めました。
「自分の事情に甘える前に、まず自分が今の社会でできるだけのことを、できるように努力するようにしよう」
 と考えるようになったのです。
 そうして改められた考え方の下、今に至っています。


 発達障害当事者が総じて世間で疎まれるのは、当事者側にこういった「無自覚の特権階級意識」があることも、要因のひとつではないかと思うのです。
 確かに障害に対する配慮を社会に求めることは必要だし重要です。私もそれ自体は否定しません。
 しかし、障害を盾にして自分たちの思い通りにさせようとするような配慮要求は、するべきではないです。それこそ世間に「発達障害は特権階級なのか」と思わせて、世間の反発を呼び寄せることにつながってしまいますから。

「こちら(発達障害当事者側)も定型社会の中で、できるだけのことはしていくように努力します。過度に要求はしませんが、もしどうしても配慮が必要になったなら、そのときはどうかお願いします」

 この考えが、結局は世間の理解を得られるのではないでしょうかねえ。

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(*´∇`*)

貴方の考え方はわかるけど、貴方の考え方が正しいとは限りませんね。
プロフィール

エビフライ飯

Author:エビフライ飯
大阪府在住。男性。
発達障害の一種、高機能自閉症を抱える人間。
公営競技・野球・サッカーなどのスタジアムという空間が好きな自分です。
ファジアーノ岡山の本拠地・シティライトスタジアムに時々出没しています。



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