今なら書ける、桐生へ行ったときのウラ話(前編)
2011-10-03
さて10月となり、ボートレースはダービーの季節がやってきました。今年の開催場は平和島。私は10月8日にここへ行って、観戦&舟券勝負を楽しむ予定にしています。
そのダービー、昨年おこなわれたのは桐生。史上初のナイターダービーと謳われた競走でした。
私も昨年の10月9日に、現地桐生まで行って観戦しました。
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-239.html
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-category-11.html
そのときの模様は、↑にて書いたとおりであります。レース場まで行く際に道を間違えたこと、舟券勝負はふるわず「ほろ苦い上州の夜」となってしまったこと、場内の食べ物のこと、そんなことをつづりました。
実は……そのとき上記記事では書きませんでしたが、この桐生での観戦を終えたあと、すさまじいエピソードがあったのです。
今までそれを書かずにいましたが、あれから1年がたとうとしている今、ようやくそれを明らかにする意味で、書いていきます。
私は2010年10月9日、ボートレース桐生にて全レースを観戦し終えました。その日の帰りは、BR桐生に最も近いJR岩宿駅からJR両毛線でJR桐生駅へと行き、JR桐生駅の周辺のネットカフェで一泊するつもりにしていました。
しかし、私は出るべき出口を間違えてしまいました。岩宿駅に行く場合は北口から出なければならないところを、南口から出てしまったのです。
出てから「しまった、間違えた!」と思い、北口のほうまで行こうかと考えましたが、何せもう夜。周囲は暗く、そこまで行く道がよくわからない状況。そのうえこの日の天気は雨。さらにわかりにくい状況を作っていました。
仕方がないので、歩く道の途中でタクシーを拾っていこうかと思いました。しかし……道路を見てもタクシーなんぞちっとも走ってきません! 待っていても仕方がないということで、私は思い切った決断をしました。いっそのこと、JR桐生駅まで歩いていってやろう、と。
この無謀とも思える試み、なぜか自分の中では「そうするしかない」との思いで満ちていました。たとえ無謀、ムチャだとしても、一歩一歩歩いていれば、いつかは桐生駅にたどり着くはず、そう信じる自分が、そこにいたのです。
私は歩きました。自分の方向感覚とカンを頼りに。幸い私は、BR桐生から見てJR桐生駅はどの方向なのかをだいたい把握していましたので、歩く方向は見当がつきました。それと頼りにしたのは、道路の随所にある方向案内板。「桐生市街」と書かれている方向を行けば、JR桐生駅にたどり着くはずだと考え、進んでいきました。
雨が降る中、体を濡らしながら歩くこと約1時間、本当にこの道を行くのが正しいのだろうかと思うことしばしばでしたが、そのうち街中にさしかかっているのを実感しました。そこに運よくあった、桐生市のあらゆる名所や施設への方向を指し示す看板。私はこれを見逃しはしませんでした。その中にあった「JR桐生駅」の道しるべ。これを目にした瞬間、自分が歩いていた方向は間違っていなかったと確信し、道が開けてきたようで心が躍りました。
そしてそれからしばらく歩くと、鉄道の高架橋と思えるものが目の前に……そうです。これこそJR両毛線。つまりJR桐生駅はもうすぐというわけです。
それから高架橋沿いに歩いていくと、やはりありました、JR桐生駅。私は初めて来た場所で、道もロクにわからないにもかかわらず、たったひとりの力でここまでたどり着けたのです。
このとき、私は自分にこれだけの方向感覚が備わっていたことに驚くとともに、後先考えずにズンズン進んでいこうとする自分の無謀さ・考えなさも痛感させられ、何とも複雑な心境に陥っていたのでした。
さて、JR桐生駅に着きはしたのですが、実はこの先が、さらにすさまじいエピソードとなったのです。
(続く)
そのダービー、昨年おこなわれたのは桐生。史上初のナイターダービーと謳われた競走でした。
私も昨年の10月9日に、現地桐生まで行って観戦しました。
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http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-category-11.html
そのときの模様は、↑にて書いたとおりであります。レース場まで行く際に道を間違えたこと、舟券勝負はふるわず「ほろ苦い上州の夜」となってしまったこと、場内の食べ物のこと、そんなことをつづりました。
実は……そのとき上記記事では書きませんでしたが、この桐生での観戦を終えたあと、すさまじいエピソードがあったのです。
今までそれを書かずにいましたが、あれから1年がたとうとしている今、ようやくそれを明らかにする意味で、書いていきます。
私は2010年10月9日、ボートレース桐生にて全レースを観戦し終えました。その日の帰りは、BR桐生に最も近いJR岩宿駅からJR両毛線でJR桐生駅へと行き、JR桐生駅の周辺のネットカフェで一泊するつもりにしていました。
しかし、私は出るべき出口を間違えてしまいました。岩宿駅に行く場合は北口から出なければならないところを、南口から出てしまったのです。
出てから「しまった、間違えた!」と思い、北口のほうまで行こうかと考えましたが、何せもう夜。周囲は暗く、そこまで行く道がよくわからない状況。そのうえこの日の天気は雨。さらにわかりにくい状況を作っていました。
仕方がないので、歩く道の途中でタクシーを拾っていこうかと思いました。しかし……道路を見てもタクシーなんぞちっとも走ってきません! 待っていても仕方がないということで、私は思い切った決断をしました。いっそのこと、JR桐生駅まで歩いていってやろう、と。
この無謀とも思える試み、なぜか自分の中では「そうするしかない」との思いで満ちていました。たとえ無謀、ムチャだとしても、一歩一歩歩いていれば、いつかは桐生駅にたどり着くはず、そう信じる自分が、そこにいたのです。
私は歩きました。自分の方向感覚とカンを頼りに。幸い私は、BR桐生から見てJR桐生駅はどの方向なのかをだいたい把握していましたので、歩く方向は見当がつきました。それと頼りにしたのは、道路の随所にある方向案内板。「桐生市街」と書かれている方向を行けば、JR桐生駅にたどり着くはずだと考え、進んでいきました。
雨が降る中、体を濡らしながら歩くこと約1時間、本当にこの道を行くのが正しいのだろうかと思うことしばしばでしたが、そのうち街中にさしかかっているのを実感しました。そこに運よくあった、桐生市のあらゆる名所や施設への方向を指し示す看板。私はこれを見逃しはしませんでした。その中にあった「JR桐生駅」の道しるべ。これを目にした瞬間、自分が歩いていた方向は間違っていなかったと確信し、道が開けてきたようで心が躍りました。
そしてそれからしばらく歩くと、鉄道の高架橋と思えるものが目の前に……そうです。これこそJR両毛線。つまりJR桐生駅はもうすぐというわけです。
それから高架橋沿いに歩いていくと、やはりありました、JR桐生駅。私は初めて来た場所で、道もロクにわからないにもかかわらず、たったひとりの力でここまでたどり着けたのです。
このとき、私は自分にこれだけの方向感覚が備わっていたことに驚くとともに、後先考えずにズンズン進んでいこうとする自分の無謀さ・考えなさも痛感させられ、何とも複雑な心境に陥っていたのでした。
さて、JR桐生駅に着きはしたのですが、実はこの先が、さらにすさまじいエピソードとなったのです。
(続く)
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