お伊勢さんに復興祈願
2011-03-20
2011年3月19日。この日は本来ならボートレース戸田へ行く予定でした。
しかし周知のとおり、大地震の影響により開催予定の総理杯は中止。加えて関東は電力不足で電車も本数が減らされている状況。このため戸田に限らず、東日本への旅行は取りやめにせざるを得なくなりました。
そのかわりといっては語弊がありますが、私はこの日、伊勢神宮へ行くことにしました。震災からの一日も早い復興を祈願したいと思ったのです。
というわけで、今回はレース場訪問記ではなく、伊勢神宮訪問記となりました。
伊勢神宮には外宮と内宮があり、JR・近鉄の伊勢市駅から歩いて5分ほどの場所に外宮があります。伊勢神宮に参拝するときは、外宮→内宮の順に参拝するのが古くからの慣習とされています。
外宮近くのバス停のそばには国旗の掲揚台があるのですが、掲げられていた国旗は半旗でした。やはり震災で亡くなった方々を悼んでのことでしょう。まず私は外宮にて、一日も早い復興を手を合わせ深く祈願しました。
そのあとバスで内宮へ。ここへは国道23号線を通っていくのですが、その終点は内宮の前なのです。こういうことからも、伊勢神宮は数多くある神社の中でも特別な存在であることを示しています。
実は私自身、こうしてお伊勢参りに来るのは今回が4度目となります。とはいっても、やはり伊勢神宮内宮はいつ来ても、その目に映る数々の「日本の美」に心魅かれます。鳥居、宇治橋、五十鈴川の流れ、あらゆるものが「神のおわす場所」にふさわしい神秘さをかもし出しています。
内宮は正殿への道の途中に国旗掲揚台があります。ここでもやはり半旗でした。風がなくてしおれた旗は、どことなく悲しげに映りました。
歩いて歩いて、正殿へとたどり着くと、私はここでも復興祈願。私のほかにも参拝者は多数訪れていましたが、その中の何人かも私と同じことをお願いしたのではないかと、ふと思いました。
現在の内宮正殿の隣には、空きの土地があります。これは20年に一度、正殿の建物を新しいものに変えるため、その新正殿を建てる土地として確保されている場所なのです。式年遷宮と呼ばれます。これがおこなわれるのは2年後。そのときには、正殿とともに被災地も復興を果たして、生まれ変わっていると信じます。
さて、無事にお参りを終えたことで、このまま帰路に……とはなりません。お伊勢さんには、お参りのあとのお楽しみがちゃーんとあるのです。
それは内宮そばにある「おはらい町」と「おかげ横丁」。数多くのみやげ物店・飲食店が立ち並ぶ空間です。伊勢の名物がひととおりそろっているのです。
で、食欲旺盛な私は、伊勢の名物の食べ物を食べたい衝動に駆られるのが必然なわけでして……おはらい町&おかげ横丁で、アワビの串焼き・伊勢うどん・手こね寿司・伊勢エビの汁・松阪牛の串焼き・赤福、これらを立て続けに食べまくったのでした(よい子はマネをしないでください)。赤福なんぞは、大阪でも普通に売られていて、わざわざ伊勢で食べるほどのものでもないのですが、それでも本場で食べると、なぜかひと味違うと感じらるのですね、これが。
手こね寿司の店で食べているときに、店員さんが「この日はいつもの土曜日より客が少なめだ」と言っているのを、小耳にはさみました。やはり地震の影響もあるのでしょう。しかし、今は消費できる人たちが消費していかなければならない状況です。そうしないと経済が停滞してしまいます。私も今回、少しは経済を動かすことに協力できたでしょうか。単なる自己満足かもしれませんが。
もしかすると、今回私がお伊勢参りに行って復興祈願をしたこと自体も、ただの自己満足だったかもしれません。それを思うと、多少後ろめたさを感じてしまいました。
いえ、今は自己満足だの何だの思うのはやめとしましょう。そんなことを思っていたら、あれも自己満足、これも自己満足と次から次へと考えるようになって、キリがないです。
以上、エビフライ飯の伊勢神宮訪問記でした。
しかし周知のとおり、大地震の影響により開催予定の総理杯は中止。加えて関東は電力不足で電車も本数が減らされている状況。このため戸田に限らず、東日本への旅行は取りやめにせざるを得なくなりました。
そのかわりといっては語弊がありますが、私はこの日、伊勢神宮へ行くことにしました。震災からの一日も早い復興を祈願したいと思ったのです。
というわけで、今回はレース場訪問記ではなく、伊勢神宮訪問記となりました。
伊勢神宮には外宮と内宮があり、JR・近鉄の伊勢市駅から歩いて5分ほどの場所に外宮があります。伊勢神宮に参拝するときは、外宮→内宮の順に参拝するのが古くからの慣習とされています。
外宮近くのバス停のそばには国旗の掲揚台があるのですが、掲げられていた国旗は半旗でした。やはり震災で亡くなった方々を悼んでのことでしょう。まず私は外宮にて、一日も早い復興を手を合わせ深く祈願しました。
そのあとバスで内宮へ。ここへは国道23号線を通っていくのですが、その終点は内宮の前なのです。こういうことからも、伊勢神宮は数多くある神社の中でも特別な存在であることを示しています。
実は私自身、こうしてお伊勢参りに来るのは今回が4度目となります。とはいっても、やはり伊勢神宮内宮はいつ来ても、その目に映る数々の「日本の美」に心魅かれます。鳥居、宇治橋、五十鈴川の流れ、あらゆるものが「神のおわす場所」にふさわしい神秘さをかもし出しています。
内宮は正殿への道の途中に国旗掲揚台があります。ここでもやはり半旗でした。風がなくてしおれた旗は、どことなく悲しげに映りました。
歩いて歩いて、正殿へとたどり着くと、私はここでも復興祈願。私のほかにも参拝者は多数訪れていましたが、その中の何人かも私と同じことをお願いしたのではないかと、ふと思いました。
現在の内宮正殿の隣には、空きの土地があります。これは20年に一度、正殿の建物を新しいものに変えるため、その新正殿を建てる土地として確保されている場所なのです。式年遷宮と呼ばれます。これがおこなわれるのは2年後。そのときには、正殿とともに被災地も復興を果たして、生まれ変わっていると信じます。
さて、無事にお参りを終えたことで、このまま帰路に……とはなりません。お伊勢さんには、お参りのあとのお楽しみがちゃーんとあるのです。
それは内宮そばにある「おはらい町」と「おかげ横丁」。数多くのみやげ物店・飲食店が立ち並ぶ空間です。伊勢の名物がひととおりそろっているのです。
で、食欲旺盛な私は、伊勢の名物の食べ物を食べたい衝動に駆られるのが必然なわけでして……おはらい町&おかげ横丁で、アワビの串焼き・伊勢うどん・手こね寿司・伊勢エビの汁・松阪牛の串焼き・赤福、これらを立て続けに食べまくったのでした(よい子はマネをしないでください)。赤福なんぞは、大阪でも普通に売られていて、わざわざ伊勢で食べるほどのものでもないのですが、それでも本場で食べると、なぜかひと味違うと感じらるのですね、これが。
手こね寿司の店で食べているときに、店員さんが「この日はいつもの土曜日より客が少なめだ」と言っているのを、小耳にはさみました。やはり地震の影響もあるのでしょう。しかし、今は消費できる人たちが消費していかなければならない状況です。そうしないと経済が停滞してしまいます。私も今回、少しは経済を動かすことに協力できたでしょうか。単なる自己満足かもしれませんが。
もしかすると、今回私がお伊勢参りに行って復興祈願をしたこと自体も、ただの自己満足だったかもしれません。それを思うと、多少後ろめたさを感じてしまいました。
いえ、今は自己満足だの何だの思うのはやめとしましょう。そんなことを思っていたら、あれも自己満足、これも自己満足と次から次へと考えるようになって、キリがないです。
以上、エビフライ飯の伊勢神宮訪問記でした。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/tb.php/325-ed203598