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スタジアム好きの自閉症者ですが、何か問題ありますか?

発達障害の一種、高機能自閉症を抱えるエビフライ飯が、スタジアム訪問記を中心につづっていきます。

夏の高校野球、ひとつ提案

 今年も夏の恒例行事、全国高校野球選手権大会が阪神甲子園球場にて開催されています。それはよいのですが、最近ではこの全国高校野球に対して
「炎天下で長時間試合をさせるのは、いかがなものか」
 という声が多くなってきています。
 確かにそれはその通りです。炎天下での試合は選手が熱中症を引き起こしやすくなりますし、また観ている客も熱中症になる事例が多くなってきていると聞きます。ヘタをすれば死に至る恐れもある熱中症。なのでこれは決してよい状況とはいえないでしょう。何らかの策を講じる必要があります。

 熱中症を避けるための策として、一部の人たちからはこういった声を聞きます。
「高校野球は甲子園でなく、京セラドーム大阪でやるといい。ここなら熱中症になることはないから」
 確かに、京セラドームなら空調がきいていますから、ここで熱中症となることはまずないでしょう。しかしここで高校野球を開催すると、ひとつの問題が生じるのです。それは「球児たちがグラウンドの土を持って帰れない」ことです。
 甲子園では、敗れたチームの球児たちが甲子園の土を取って持ち帰るのが通例。その場面がテレビでも放映されます。このグラウンドに来たこと、そしてこのグラウンドでプレイしたことを思い出として、土を持って帰るのです。
 しかし京セラドームは全面人工芝。持ち帰る土がないのです。まさかマウンドやベース周辺の土を持ち帰るわけにはいきませんし。やはり思い出の品であるグラウンドの土を持って帰れるという点で、高校野球の開催地から甲子園は外せないと思うのです。

 では、開催地を甲子園にしたままで、どのように熱中症対策をするのか? これについて、私がひとつ提案です。それは……

 開催地を甲子園だけではなく、同じ兵庫県にある、ほっともっとフィールド神戸を第2会場とすることです。

 ほっともっとフィールドは甲子園と同じく、グラウンドに土と天然芝が使用されています。外野のみならず内野にも天然芝が敷かれている点が甲子園とは異なりますが、条件は甲子園とほぼ同じといえるでしょう。それにここならば、試合後グラウンドの土を持って帰ることができます。
 そして、試合を甲子園とほっともっとの2場で同時におこなうのです。1日4試合をやるならば、これらをそれぞれで2試合ずつおこなうこととなります。そのそれぞれの2試合を、日差しのきつくない時間帯におこなうのです。考えられるとすれば、朝8時からと夕方16時ごろからとする、または夕方16時から始めて2試合目をナイターとする、といったところでしょう。
 開会式は通例どおり午前中に甲子園でおこない、その日の試合は、夕方に甲子園とほっともっとで開催。時間があるので、甲子園からほっともっとへの移動はじゅうぶん可能でしょう。準々決勝までは2場開催として、準決勝からは甲子園での単独開催ということにします。
 そうなると、テレビ中継はどうするのか。これはNHKとABC朝日放送、2局が甲子園とほっともっと、それぞれの試合を全国中継していけばよいでしょう。現在でも関西では、NHKとABCが高校野球を同時に中継しています。これがそれぞれ異なる会場での中継となれば、2局での中継が有意義なものとなります。


 ……とまあ、今回は高校野球にひとつ提案をしてみました。それにしても主催者である朝日新聞は、こういった炎天下での試合の問題が上がっているというのに、開催方法の改革を提言するということはしないのでしょうかねえ。

かつて藤井寺球場があった場所

 先日、大阪府藤井寺市へと行く機会がありまして、そこにある近鉄南大阪線・藤井寺駅の近くを通りました。
 藤井寺駅といえば遠い昔、ここの近くに「近鉄藤井寺球場」という名の野球場があったのです。かつてプロ野球パシフィックリーグに存在していた球団、近鉄バファローズが本拠地としていた球場でした。
 ↓こちらが、藤井寺駅の南口。ここが藤井寺球場へ行く際の出口でした。
 fujiidera1.jpg

 昔、藤井寺球場で試合のあるときは、大勢のファンがここへと降りていったのだろうな……と、想像しました。

 ではここで、藤井寺球場の簡単な歴史を語るとします。
 近鉄バファローズは本拠地球場をこの藤井寺球場と、大阪・森ノ宮にあった日生球場のふたつを有していました。その理由は、当初藤井寺球場にナイター設備がなかったためです。近鉄主催のナイター試合は日生球場でおこなわれたのでした。(日生球場も現在は影も形もなく、新たにショッピングモールの建設が進められています)
 しかし、日生球場は収容人員数が少ないという難点がありました。そこで球団は、日生よりも収容人員数の多い藤井寺球場にナイター設備を造って、藤井寺でナイターができるようにしようとしました。
 それに対し藤井寺球場の周辺住民から、激しいナイター設備反対運動が起こりました。何せ藤井寺球場があるのは住宅地の中。自分たちの生活の場の近くで夜遅くまで照明がともり続け、ファンの歓声や鳴り物の音が響き続けるのではたまったものではないと、周辺住民は裁判までも起こして反対運動をしました。
 これにより、照明塔を設置したものの、藤井寺でのナイター開催がなかなかできない状況が続きましたが、のちにナイター設備が稼動することとなりました。これにより、近鉄球団の主たる本拠地は藤井寺となったのです。
 その後近鉄球団は本拠地を大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)に移転。藤井寺球場は主に二軍の試合の場となりました。
 しかし、2004年に近鉄バファローズそのものが消滅。それに伴い、藤井寺球場も終焉を迎えることとなったのでした。1989年に読売ジャイアンツと日本シリーズを戦った球場で、日本人メジャーリーガーの先駆となった野茂英雄氏が何度もマウンドに立った球場は、もう今では跡形もありません。


 かつて藤井寺球場があった場所には、現在↓これが建てられています。
 fujiidera2.jpg

 四天王寺学園の藤井寺駅前キャンパスです。これがあるのは藤井寺球場のホーム側で、外野スタンド側にはマンションがあります。このマンション、モロに球場の外野スタンドの形状に合わせた造りとなっています。
 この四天王寺学園、小学校と中学校が入っていますが、おそらくここに通う児童・生徒は、藤井寺球場のことなど知らない子ばかりなのでしょうねえ。ヘタすると近鉄バファローズのことも知らないかも。

プロ野球選手会ストライキから10年

 今から10年前、2004年9月17日に、日本プロ野球界史上例を見ない事態が発生しました。プロ野球選手会が、日本野球機構側との交渉決裂によりストライキを決行。翌日・翌々日の2004年9月18日・19日の全試合が中止となったのです。

 事の発端は、2004年シーズン後半になって出てきた、大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの球団合併。球団数減となることに選手会は反発、12球団維持を求め機構側と交渉を重ねてきました。
 しかし機構側は合併を強行。選手会はこれを不服として、ストに踏み切りました。このとき、ジャイアンツを裏で操る「読売のドン」ナベツネこと渡邊恒雄氏が選手会に対し
「無礼なことを言うな。たかが選手が」
 と発言したことも、スト突入の間接的なきっかけになりました。
 その後機構側は、選手会にストによる試合中止への損害賠償請求に動くなど、一時期泥沼化の様相をなしましたが、最終的に機構側が選手会に折れる形で「新規球団参入による12球団維持」「交流戦の実施」を容認しました。

 この当時、これら選手会スト問題を、全国一般紙はいっせいに社説にて取り上げていました。朝日・毎日・産経・日経はいずれも「この問題は機構側に非がある。機構側は選手会に歩み寄るべき」といった、機構側を批判する論調でした。
 しかし全国紙の中でただひとつ、読売だけは「ファンを無視した“億万長者のスト”だ」と、選手会側を攻撃する内容の社説を書いていました。さすがはジャイアンツの黒幕ナベツネ率いる新聞だと、ただただ呆れたのを覚えています。


 あれから10年――プロ野球は昔と比べると、明らかに変わりました。
 あのストがきっかけで始まった交流戦はすっかり定着し(ただし、来年から試合数が減らされるのですが)、各球団の本拠地は多くの地方都市へと分散していったことで、地域に根ざしたチームの姿が確立されてきました。最近では「カープ女子」など、新しい女性ファンも増えてきて、そういった人たちが人気を支える格好となっています。
 しかし、まだまだ球界は改革の余地大いにありだと思います。球団の本拠地も昔に比べれば分散したとはいえ、まだ東京には2球団あるときています。東京近辺に固まっている球団を、まだ他地方に分散できると思うのです。そして可能ならば球団数を増やすことに踏み切れないか、とも。
 あと、現在の2リーグ制も見直しを考えてもよいと思います。↓これは以前、私が考えた「2リーグの枠組みそのままで実質1リーグにする」案ですが……

 プロ野球にカンファレンス制を導入してみては 2014-05-13
 http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-716.html

 とにかく、現状に満足して足を止めるのはよくありません。球界には時代に取り残されることなく、改革を重ねながら常に前へと進んでいってもらいたいものです。

プロ野球にカンファレンス制を導入してみては

 先日、日本プロ野球NPBが
「交流戦を5月と8月~9月の2回開催とすることを検討している」
 との考えであるとの報道がされました。 しかし私はここで思うのです。

そこまで中途半端に交流戦をおこなうぐらいなら、いっそ現行の2リーグを1リーグにまとめてしまったらどうだ?

 と。

 ですが、私が考える1リーグのNPBというのは、セントラルリーグおよびパシフィックリーグを消滅させ12球団すべてをひとつのリーグにまとめてしまう、というわけではないのです。セ・パの枠組みがあるままで1リーグにできる方法があるのです。
 それは「カンファレンス制」の導入です。
 カンファレンスというのは「競技連盟」の意味を持っており「リーグ内でのひとつの集まり」といったものです。ではそのカンファレンス制とは具体的にどういったものなのか。空想シミュレーションを兼ねて説明いたします。

 まず、従来のセ・リーグおよびパ・リーグを、編成はそのままでそれぞれ「セントラル・カンファレンス」「パシフィック・カンファレンス」へと移行させます。
 その上で、セ・パの枠組みの中でだけ試合をやるのでなく、セ・パに関係なくすべての球団と対戦するように試合を組むのです。
 ただし、相手が同じカンファレンスか異なるカンファレンスかで、試合数に違いを持たせます。
  • 同じカンファレンスの球団との試合  :14試合
  • 異なるカンファレンスの球団との試合:12試合
 つまり、異なるカンファレンスの球団との試合が、現在の交流戦に相当することとなります。これで1球団あたりの試合数は142試合。現行とさほど変わりありません。
 これならば、カンファレンスの違いで試合数が異なるものの、12球団総当りとなって実質は1リーグの形態となるわけです。そして各カンファレンス上位3チームでクライマックスシリーズを戦う、こういう形式とするのです。
 このようなカンファレンス制、アメリカのNFLやNBA、NHLが採用しています。


 ……ま、この私の考えは単なる妄想に過ぎないかもしれませんが、ひとつの案としてはいかがでしょうか。

セ・リーグ6球団にちなんだホットドッグ

 プロ野球は現在、交流戦真っ盛り。異なるリーグの球団同士の対戦で、しかも公式戦としてペナントレースの勝敗に組み込まれる交流戦。2005年に始まったこの催しも、いまやこの時期のファンのお楽しみとして定着した感があります。

 そんな交流戦ゆえに、各球団ともいつものリーグ戦とは異なった趣向のイベントを企画しているようです。
 その中でも、埼玉西武ライオンズは西武ドームでの交流戦試合時限定で、対戦相手によって異なる場内グルメを提供しているとのこと。

 http://www.seibulions.jp/gourmet/stadium/2013/detail20.php#interleague2013_gourmet02

「交流戦ドッグ」と呼ばれるホットドッグで、セ・リーグ6球団にちなんだ品をのせたものとなっています。

 阪神タイガース:ホルモン
 広島東洋カープ:焼きそば
 東京ヤクルトスワローズ:塩だれチキン
 読売ジャイアンツ:ミートボール
 中日ドラゴンズ:みそかつ
 横浜DeNAベイスターズ:揚げ餃子

 ホルモンは関西ではおなじみの食べ物。焼きそばは広島お好み焼きに欠かせないものです。みそかつは言うまでもなく名古屋メシのひとつで、餃子は中華街のある横浜らしさがあります。
 このように、阪神・広島・中日・DeNAについては、その土地ゆかりの食べ物であるということが伝わるのですが……あとふたつ、在東京の2球団については「なぜこの品?」と思ってしまいます。
 ヤクルトに関しては、スワローズ→ツバメ→同じ鳥であるチキンと連想すればよいでしょうか。多少苦しくはありますが。あとどう考えてもわからないのが読売! ミートボールから巨人というのは、どう考えても連想できません。これは東京に「これぞご当地の食べ物」といえるものがないことの証明となっている気がしました。

 でもまあ、こういった試み自体は悪くはないと思いますよ。

よみがえった1988年

 先日、4月19日から21日までの、京セラドーム大阪でのバファローズvsホークス戦は、「オオサカクラシック」と称されて、両チームがそれぞれ近鉄時代・南海時代のユニフォームを着て試合がおこなわれました。

 4月21日には大阪ではNHKでテレビ中継がありまして、私はそれを見ました。画面に映る近鉄時代・南海時代のユニフォームを目にした私は、今から25年前、1988年にタイムスリップしたような感覚に陥りました。
 なぜ1988年か? この年は近鉄にとっても南海にとっても、大きな出来事があった年だったからです。
 近鉄バファローズ。ここは1988年シーズン終盤、壮絶な優勝争いを繰り広げ、あの伝説の「10・19」の死闘までに至りました。「10・19」については↓こちらをご参照ください。

 1988年の10月19日 2011-10-19
 http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-426.html

 そして南海ホークス。この名前が存在していたのは、1988年まででした。この年を最後に球団はダイエーへと身売りし、大阪から福岡へと移転。
 そういうわけで、両者のユニフォームを見たら、1988年を思い起こさずにいられなかったのです。ツイッターでも思いを同じくしている人は多かったようでして、この試合を「近鉄vs南海」と呼んでいる人が多く見られました。


「近鉄vs南海」のテレビ中継を見ていると、1988年当時の両球団の本拠地球場のことも、思い出されました。
 近鉄時代のバファローズが本拠地としていたのは、藤井寺球場と日生球場。しかし現在はどちらも現存していません。藤井寺球場があった場所には、現在は四天王寺学園小学校が建てられています。また日生球場の跡地は、現在住宅展示場です。
 一方、南海時代のホークスが本拠地としていたのは、大阪球場。大阪ナンバのど真ん中に野球場があった、そんな時代があったのです。しかしここも今は跡形なく、同球場があった場所は商業施設『なんばパークス』となっているのでした。ちなみに、なんばパークスの案内図を見てみると、明らかに野球場の形を残した部分が見られまして、ここは辛うじて大阪球場の跡であることの証となっているかな、と思います。

 そんな懐かしい気分に浸ったその日、↓このような動画を見つけました。

 南海ホークスの歌。
 http://www.youtube.com/watch?v=Bt8VTTLWVBc

 懐かしい大阪球場の風景が、この動画で見られます。
 最初のほうを見るとわかりますが、大阪球場はスコアボードがバックスクリーンの上ではなく、バックスクリーンよりライト側にずれた位置にあるのですね。これはスコアボードが、球場のライト寄り後方にあるビルに張りついた構造となっていたためです。
 あと、動画の2:32あたりで外野席の様子が映し出されますが、そこのフェンス広告に「住之江ボートレース」の文字が! いつの年代の映像がわかりませんが、住之江も昔は「ボートレース」の名称を使っていたのですね。あと、ロゴが現在のものとは異なっていたのですね。


 1988年から時は流れ……バファローズはオリックスと合併、ホークスはダイエーからさらにソフトバンクへと身売り。時の流れを痛烈に感じずにはいられません。

日本シリーズ中の東京ドームは

 川口オートレース場での観戦を終えた私は、まだこのまま帰るのは惜しいと思いました。いつものことですが。
 では今回東京で立ち寄る場所はどこにしようかと考えたところ、ひとつの場所が思い浮かびました。それは↓ここ!
 tokyo_dome1

 東京ドームです。私が行った2012年11月3日は、ちょうど日本シリーズの真っ最中。しかもこの日ここ東京ドームでおこなわれるのは第6戦。ジャイアンツ3勝・ファイターズ2勝で、ジャイアンツが勝てば日本一となる試合です。
 当然ドーム場内には入れっこありませんが、日本シリーズ開催時のスタジアム周辺がどのような雰囲気なのか、一度この目で見てみたかったのです。そう思った私は、西川口駅から電車に乗って、東京駅へ向かう前にひとまず水道橋駅まで行って、そして東京ドーム周辺に立ち寄りました。ちなみに水道橋駅の発車メロディは、ジャイアンツの本拠地に近い駅ということで『闘魂こめて』なのです。

 この東京ドーム周辺、今では東京ドームシティと名がついていますが、15年くらい見ていない間に随分と雰囲気が変わったと感じました。
 かつて後楽園遊園地と呼ばれていた施設は、今は「東京ドームシティ・アトラクション」です。近くには大きなホテルがそびえ立ち、ドームの外側に連なる数々の店も様変わりしていました。ただ、WINS後楽園は以前と変わらぬまま健在でした。

 ↓こちらは22番ゲート。東京ドームの正面ゲートです。
 tokyo_dome2

 このゲートの前には広場があり、そこには大画面テレビが設置されていました。ここでドーム内での試合の模様の中継が映し出されるのです。広場にはその中継を見ようと、人々が集まってきました。中には、おそらくドーム内に入場できなかったであろうG党のみなさんの姿も見えました。ここまで来たのなら、私も時間の許すまで見ようではないか、そう思って私は広場にしばらくいることにしました。
 大画面テレビ・広場の近くには、何とも都合よく野外ビアガーデンが。これなら酒をかっくらいながら観戦ができるというものです。そういうわけで、私はそこでビールやら日本酒やらを持ち帰りで買い、飲みながらテレビを見たのでした。多少肌寒い夜でしたが、今時分ならまだ日本酒は冷やでも体がカッカしてきて、じゅうぶん温もれます。

 さて試合のほうは、初回からジャイアンツが打線に勢いを見せて先制。2回には長野選手がホームラン。これで広場のG党の皆さんは大熱狂。点が入ればG党のみなさん、歓喜の嵐。たちまち『ビバジャイアンツ』の大合唱です。
 これを見て「ああ、スタジアムではこういう調子で応援がされているのだな」と思ったのでした。
 たとえドーム内に入れなくても、ここでスタジアムの雰囲気を感じ取ることができただけで、私は満足でした。やはり立ち寄ってよかったと思います。
 結局3回終了まで見ていましたが、もうここらで時間が押し迫ってきていましたので、名残惜しいですが私は東京ドームをあとにして、東京駅へと向かいました。

 結局この日、ジャイアンツが勝利し日本一に。私はその知らせを、帰りの新幹線の車内で知ったのでした。

タイガース金本選手、現役引退

 今日2012年9月12日、阪神タイガースの金本知憲選手が、今シーズン限りの現役引退を表明しました。
 金本選手、今年は開幕から不調で、スタメンを外れることもしばしばでした。これはそろそろ引退かも、の声も各方面から聞こえていましたが、いざこのように本当に引退が決まるとなると、やはり少々寂しいものを感じます。

 ですが、金本選手は球史に残る名選手と言っても、何も文句はないでしょう。現役生活21年、カープとタイガースの両方で打撃の主軸として活躍、特にタイガースでは2度のリーグ優勝に貢献。通算2500安打達成、連続出場イニング最高記録と、記憶のみならず記録にも残る選手でした。
 おそらく何十年後かには、金本選手は野球殿堂入りすることでしょう。

 そして金本選手の背番号「6」は、タイガース4番目の永久欠番となるかもしれません。まあこれ自体は妥当なところでしょう。
 しかしもしそうなったならば、カープファンは複雑な心境でしょうねえ。在籍していた期間はカープ時代のほうが長いのに、カープ時代の金本選手の背番号「10」は普通に使われていますからね。

 金本選手、ここ20年ほどのプロ野球では特に印象深い、偉大さを感じさせる選手でした。今後、これほどの選手はそうそう現れないでしょう。


(追記)
 金本選手の背番号が永久欠番に決定したかのような書き方となっていましたので、一部改変しました。

日本には野球がある

 プロ野球は開幕から2週間が過ぎました。早くも上位と下位との差がはっきりとしだしている感はしますが、まだ始まったばかりです。これから秋まで半年の長い間ペナントレースは続くのですから、たとえ負けが込んでいる状況でも、今はまだ長い目で見るべきです。

 それはさておき。
 ツイッターを見ていると、私のタイムライン上では野球の話題がけっこう入ってきます。私がフォローしているボートレース関連のユーザーさんたちの中には、同時に野球ファンだという人がけっこういるのです。
 プロ野球開幕日の3月30日の夜には、タイムラインの半分くらいが野球の話題で埋まっていましたし、先日甲子園球場でおこなわれたセンバツ高校野球の開催中でも、その関連ネタが多く見られました。

 年2回の高校野球が毎年大々的に新聞・テレビで取り上げられ、またプロ野球が始まろうものなら、新聞のスポーツ面やテレビのスポーツニュースはこぞって歓喜のごとく報じる。週刊誌でもグラウンド内外ひっくるめて、プロ野球の話題が毎号記事となります。

「日本には野球がある」まさにこの言葉がぴったりと当てはまります。

 考えてみれば、野球というスポーツは世界的に見て、明らかに世界中に広まっているとは思えません。にもかかわらず、日本に輸入されてから今に至るまで、日本国内では根強い人気を維持し続けています。
 さほど野球に興味がない人でも、実は知らず知らずのうちに野球に関わっているものです。「あの曲が“ヒット”」「“ストレート”に言う」「あの俳優がドラマを“降板”」……何気なく普段使う言葉ですが、これらすべて元々は野球用語です。「セーフ」「アウト」も「いいかダメか」をあらわす語として、普通に使われます。野球が文化のひとつとして日本に根付いたことの証左といえるでしょう。
 それだけ日本社会に浸透しているスポーツです。サッカーを筆頭とした他のスポーツの人気が上がってきていても、日本において野球がすたれるということは、そうそうないのではないか、そう信じます。

 以上、今回の記事はテレビでプロ野球中継を見ながら書きました。

1988年の10月19日

 10月19日。この日を強く記憶にとどめている人は多いのではないでしょうか。この私もそのひとりです。
 この日何があったのか。それは1988年にまでさかのぼります。

 1988年、この年のプロ野球パシフィック・リーグは終盤になって激しい優勝争いが繰り広げられていました。
 10月19日の時点で首位は西武、2位は近鉄。西武は全日程を終了。近鉄はここまで来て、西武に勝率わずかの差まで詰め寄っていて、あと2試合を残すのみ。その2試合は、その日川崎球場でおこなわれる、ロッテとのダブルヘッダー。2戦とも勝てば逆転優勝という状況でした。

 夕方、帰宅してから川崎球場での第1試合の行方が気になり、私はラジオをつけてABCに合わせ、中継を聞きました。
 試合はすでに終盤。追いつ追われつの試合展開だったようで、実況するアナウンサーも興奮しているのがよく伝わってきました。
 近鉄はリリーフに当時エースの阿波野投手を投入するなど、必勝態勢で臨んでいき、結果辛くも近鉄が勝利。このあとナイターでおこなわれる第2試合にすべてを賭けることとなりました。


 ……が、しかし、その前にニュースで衝撃的な出来事が報じられました。
 阪急ブレーブスが、オリックス(当時の社名はオリエントリース)への球団売却を発表したのです。これは正直、驚きでした。何の前触れもなく、いきなりの発表だったためです。
 この年は同様に、南海ホークスがダイエーへの球団売却および福岡移転を発表していましたが、こちらはシーズン後半初めあたりから噂されていて、もう正式発表も時間の問題だろうとの見方が多くされていました。
 阪急の場合は、そんな噂すらありませんでした。寝耳に水とはこういうことを言うのかと、当時中学生の私は思ったものでした。


 阪急ショックに引きずられつつ、再びラジオでロッテvs近鉄の試合中継を聞きました。第2試合の始まりです。
 またしても点を取られては取り返すの、激しい攻防の展開。もうここまでくると、近鉄に勝ってほしい思いでいっぱいになってきました。
 それまでずっとラジオを聞いていましたが、21時ごろだったでしょうか、テレビを見ると、ABCテレビが急遽川崎球場からの試合中継に放送を切り替えたのです。逆転優勝があるかもしれない、その瞬間をテレビで放送しようと局サイドが考えたのでしょう。何にせよこれではっきりと、試合の模様を目で見ることができるようになりました。
 終盤、近鉄がリードしていましたが、ロッテも粘ります。土壇場で同点に追いつくホームラン。これで延長戦へと突入です。

 当時のパ・リーグの規則では、試合時間が4時間を超えた場合は、新しいイニングに入らず試合終了とすることになっていました。つまり引き分けもあるわけです。しかし近鉄が優勝するには、負けはもちろん引き分けでもダメです。もう勝つしかない状況。
 延長戦でも両者ともに譲らない、壮絶な試合展開。中継はとうとう『ニュースステーション』の放送時間にまで及びました。しかし番組内で中継を続ける措置が取られ、キャスターの久米宏さんもこの試合の行方に注目していました。

 試合時間のリミットが迫りつつある中での、ロッテの攻撃中。2塁への牽制でランナーがアウトになりました。
 この判定に、当時のロッテ・有藤監督が審判に抗議。10分近く抗議を続けたことにより、リミットが急激に近づくこととなってしまいました。
 結局、リミットが来てしまい、試合は引き分け。近鉄はあともう少しのところで、優勝を逃してしまいました。

 このときの有藤監督の抗議、当時の私はまだまだケツが青いゆえ「試合を早く終わらせるために、あんなことしたんだな」との思いでいっぱいでした。しかし今になって思うと、ああいう行動に出ても無理はないわな、と考えるのです。
 この試合、近鉄はもちろん必死でした。しかし相手のロッテも、どんな状況であれ無様な試合は見せられないとの思いがあり、またこちらも必死だったことでしょう。それだけ必死になっているのなら、あそこで抗議に出るのは自然なことではないか、そう思えるのです。
 しかし当時の私は、そこまでの考え方はできませんでした。


 1988年の10月19日。この日は私にとって、強烈に記憶に残る日となりました。いえ、私だけではないでしょう。他にも数多くの人々が、この「10・19」を記憶にとどめていることと思います。
 パ・リーグ終盤での壮絶な優勝争い。伝統球団阪急ブレーブスの突然の身売り。あの日の夜は、衝撃と興奮を感じさせた、忘れられない夜でした。

 それだけ強烈に残った記憶を、当時の私は学級文集にまで書いたのでした。
 ↓こちらがそれです。この1ページすべて、文章も絵も私が制作を担当しました。
(画像クリックで拡大します)
 memory1019

 いやー、当時の私の青臭さがにじみ出ていますねえ。「有藤のバカヤロー」などと書いていますし。有藤さん、決して悪気はないのです。若気の至りというやつです。どうかご勘弁ください。
 しかし今あらためて見てみると、当時半ばオチャラケで書いたこのページでも、こういう形で「記録」としても残せるものなのだな、としみじみ思います。1988年の10月19日は、2011年と同じく水曜日だったことも、これでわかりますし。


「10・19」という大ドラマの主役となった近鉄バファローズ、その球団の当時の監督・仰木彬氏、そしてドラマの舞台となった川崎球場。現在はもう、そのいずれも存在していません。
 それでも永遠に、これは伝説として語り継がれることでしょう。

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Author:エビフライ飯
大阪府在住。男性。
発達障害の一種、高機能自閉症を抱える人間。
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