私への殺害予告を書きこんだのはカリタと断定します
「私(エビフライ飯)への殺害予告を掲示板に書きこんだのは、カリタである可能性が高い」
との記述をしました。私への異常なまでの敵意、文脈の特徴、そしてこれまでのいきさつから考えて、これはカリタの仕業だと疑ってかかったのでした。
ですが、もう今後は「カリタがエビフライ飯への殺害予告を書きこんだ」と断定いたします。
その理由は、カリタ本人が殺害予告に関して否定の言葉を発しないからです。もし、身に覚えがないのに殺害予告の犯人だと書かれたならば、すぐさま「やったのは俺じゃない!!」と反論してくるはずです。
しかし、その反論はいまだになし。ということは、カリタ本人がやったと認めているとみなしてよいということになります。
まあ今更ギャースカ騒ぎはしません。ですがカリタよ、これに関してはひと言ぐらい詫びの言葉があってもいいのではないでしょうか? 「当該書きこみはもう削除されているから」「自分は社会的制裁を受けたから」などという弁明は通用しませんよ。
あと、http://www.logsoku.com/r/mental/1248426528/ より、カリタの発言を引用します。
187 : 優しい名無しさん[sage] 投稿日:2009/08/07(金) 12:49:00 ID:JD+Mj85M
>今度は転校生さんの両親まで侮辱するか! あんた自分の行動を正当化するためには誰でもいいんだな
転校生さん…はネフェル隠語だから初代スレ同様「A子さん」と呼ぼう。
これは、A子さんの両親だけでなく、綺羅や要請ハート氏の両親にもいえることだと思うな。
息子や娘を虐待したり、当事者活動を制止すべきなのに制止しないところは。
A子さんの両親に限っては。一冊目の自伝を出したときは2人とも健在だっただろ?
そのときに、なぜ本気で彼女を守ろうと動かなかった。
だから、2004年の無事子+石井会長事件が起きたんだよ!(このときは両親とも亡くなっていた)
ネフェル! 本当にお前を殺すぞ!
ここに書かれている「要請ハート」とは、私のことです。私の親を「虐待親」と勝手に決めつけた書きこみの一例です。これ、立派に名誉毀損モノの内容ですよ。
あと「殺すぞ」と平気で書いていますね。これではカリタが殺害予告を書きこんだと疑われても致し方ないでしょう。
(参照記事)
「あぼーん」の正体 2011-06-05
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-367.html
カリタよ、君は今いずこ 2014-03-11
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-705.html
カリタよ、君は今いずこ
震災発生のすぐあと、私は↓これらの記事を書きました。
エネルギーを有益に使え 2011-03-12
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-321.html
今、自分にできることを 2011-03-16
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-323.html
ところが……下段の記事を上げた翌日、ある者がとある掲示板にて
「エビフライ飯が『義援金を出せ!!』と騒いでる! 義援金を強制するな!」
と、私を非難してきたのです。
私は上記の記事では「義援金を出せ!」と強制するような文言は、いっさい書いていないはずなのです。
「当事者攻撃をするエネルギーを、被災地支援に使ったほうが有益というもの。義援金を出すだけでもいい」
「自分にできることでいいから、地震に対する行動を、何か起こしてほしい」
こういったことを書いたに過ぎません。あくまで「これこれこうこうしてみてはどうか?」といった、問いかけをしただけです。
まともな読解力をお持ちの方ならば、これが「義援金の強制」などとは思われないでしょう。にもかかわらず「強制するな」という非難の言葉を放つ。これは読み違いからの的外れな非難です。
この非難の言葉を放ったのは「カリタ」と名乗る者。私と同じく発達障害当事者です。
このカリタが私を掲示板上で叩くのは、このときに始まったことではありません。2006年秋から、私を目の敵にしてひたすら掲示板上でバッシングの言葉を書き込み続けていました。
カリタは自分勝手な思い込みで私のことを危険人物呼ばわりし、当時積極的に当事者活動をしていた私をつぶしにかかりました。何もわかっていないくせに、奴が私の親のことを「虐待親」などと罵倒したときは、激しい怒りを覚えたものでした。そういった執拗なバッシングが、このときまでも続いていたのです。
その後もカリタの私に対する的外れの非難は続き、しまいには
「義援金は出したからな! もう二度と震災にケチつけるな!」
と言い放ちました。だったらそれでいいではないですか。なぜ私に文句を言う必要があるのでしょうか。
その後掲示板にて、私に対する殺害予告が書き込まれるといった事態が発生しましたが、これを書き込んだのもカリタの可能性が高いです。
(参照記事)
「あぼーん」の正体 2011-06-05
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-367.html
それから1年あまり経ってから、またカリタが私に対して、読み違いから非難をしてきました。
クドい文章は印象マイナス 2012-01-28
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-465.html
カリタが広島県尾道市のことを「広島県O市(大林映画のところ)」と書いていたのを、私が「回りくどい記述」と批判したことがきっかけでした。カリタはこれに対し、
「地名を書くとき県名から書いたら、エビフライ飯から『書き方がクドい』と誹謗中傷された」
と、また私への非難を掲示板に書き込みました。
私はこの記事で「広島県O市(大林映画のところ)」の、わざわざ覆い隠すような書き方が「回りくどい」という意味合いで書いたつもりだったのです。だったらスパッと「尾道市」と書けばいいではないか、との思いで。そしてこのとき、別に県名を書くことが「クドい」とまでは微塵も思っていませんでした。最低限でも「尾道市」と書けばよいし「広島県尾道市」でも一向に構わない、私はそのつもりでした。
しかしカリタはこれを「県名から地名を書くことが『クドい』書き方」だと誤解してしまったようです。
これについては、私のほうも非がいくらかあります。上記記事では、回りくどいのが「覆い隠すような書き方」であるとは書いていませんでしたので、それで誤解を招いてしまったことは認めます。これだと読み方によっては「県名から始める書き方がクドい」と思われても仕方ありません。
しかしだからといって、この些細な書き方の一件ごときで、私が誹謗中傷したとまで書いて大げさに取り上げ、叩くのはどうかと思いますよ。
(余談ですが、この当時カリタがあまりにも私に粘着して叩いてくるので、それへの報復と称して、カリタの本名と住所をブログにて公開してやろうと思ったことがあります。ま、今となっては実行に移さなくてよかったと思っていますが)
――と、このように私に張りついて何だかんだと掲示板に私への非難の言葉を書き込んできたカリタですが……2012年7月に地名の書き方の件で私を叩いてからは、パタリと私への非難がやみました。そして今に至るまで、ネット上でカリタが発言することも見かけなくなりました。
かつてさんざんカリタから非難の言葉を書かれ叩かれた私。そのことに関しては、今なお許すことはできません。とはいっても長い間音沙汰がないと、いったい奴は無事に生きているのだろうか?と心配になってくるものなのです。罪を憎んで人を憎まず、ということで。ひどい目に遭わされた相手に対してもこういった感情を抱く私、相当なお人よしでしょうかねえ。
以上、3年目の3・11に思ったことでした。
相反する主張を併せ持つ人たち
しかし、そういった人たちは一方で、普通学級また一般社会で、自分の障害に甘えず過度の要求もせずに、何とか工夫をしていきながら生活していっている人たちのことを「健常社会に迎合し、屈服している」と叩きにかかるのです。
おかしくありませんかねえ。「障害児を普通学級へ」というなら、どうしてその普通学級で本人なりに頑張っている人を叩くような行動に出るのでしょうか。
普通学級で生活するということは、その普通学級におけるルールの下で行動していかなければならない、ということですよ。ならばそれに合わせていく道理となるのは当たり前のこと。障害児ゆえに、いくつかの場面でのサポートは必要となるでしょう。だからといって、あらゆる面での特別扱いが許されることにはなりません。普通学級で生活するということは、それだけの覚悟が必要ということですよ。
それをわかっていて「普通学級へ」と言っているのか、疑問です。
そして、この手の人たちは「障害者と健常者とで区別するな」の考えと「健常社会に迎合するな」といった考えの両方を持ち合わせていることになります。なぜでしょう? この両者、互いに相反する考え方なのですが。
これが
「障害者と健常者とで区別するな。ただし障害者であることに甘えてはいけない」
「健常社会に迎合するな。障害児は特別支援学級へ行かせよ」
ならば、まだ筋が通っています。しかし、実際はこういった相反する主張を併せ持つという現象が起きているときています。
そこでふと思い出しました。そういえば、このような相反する主張を併せ持つ人たちが別のところにいるな、と。
それは巷で「護憲派」と称される人たち。この人たちの主張は決まって「憲法9条を守れ」ですが、その一方では「でも1条はいらない」との考えを持っているときています。
これまたおかしいではありませんか。「護憲派」ならば憲法を守ることを主張しているはずなのに、なぜ1条に関しては守れと言わないのか? なぜ「いらない」などと平気で考えられるのか? 護憲派を自負している大学教授の中には「1条は日本国憲法でただひとつの欠陥」などと平気で語る人もいるときています。
真の護憲派ならば「9条も1条も大事」と主張しなければ、筋が通りません。「9条守れ、1条いらない」なら「護憲」と称さずに「護9改1派」または「護9廃1派」と称されるべきです。
……と、「相反する主張を併せ持つ」例をふたつ、ここに挙げましたが……この両方とも、いまなお教育現場に巣食っているバカなアカ教師どもの主張でもあるのですよねえ。
こどもたちに「日本は悪」「日本人であることは恥」といった意識を植えつけさせ、こどもたちの自己評価を低くさせるアカ教師。ただでさえ自己評価が低い自閉症スペクトラム児には、有害な存在でしかありません。
そのうえ、上記のような相反する主張を併せ持つおかしな思想を流布させる。他人の言を鵜呑みにしてしまいがちな自閉症スペクトラム児は、それを何の疑いもなく受け入れてしまうでしょう。結果、その思想に刷りこまれてしまう。
実は私も、一時期こういった「相反する主張を併せ持つ」思想に、何の疑いも持っていなかったのですよ。それで一時は刷りこまれそうになりました。
しかし、自分が親元を離れてひとりで生活するようになってから、その思想に疑いを持つようになり、あやうく刷りこまれそうになったところを逃れました。自分の意思で考え行動する機会が多くなったことで、自分なりに物事を慎重に考えることができるようになったためではないかと思います。
今、私がアカ教師どもに対して強い反感を覚えるのは、彼らがおかしな思想をあたかも「この考え方こそが人として正しい」かのごとく刷りこんでいたことに、このとき気づかされたためです。私は前述の経緯を経て刷りこみを逃れましたが、中には完全に刷りこまれてしまい、彼らの思想を何の疑いもなく信じこむようになってしまった人もいることでしょう。
そのような事態に陥らせないために、今学校にいる自閉症スペクトラムのこどもたちには、アカ教師を近づけてほしくない。これが私の切なる思いです。
悪しき教条主義に支配される自閉症スペクトラム当事者
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-category-9.html
その反日自虐教育が、別の方面でろくでもない効果を呼びよせています。
以前私は「ネット上でブログを書いている自閉症スペクトラム当事者を見ていると、反日自虐教育をモロに浴びてしまったような印象の人が多勢を占めている」ということを書きました。
その中の一部に、自ら「極左」であることをアピールしている人が、ちらほら見られます。
とある掲示板で、愛読紙は「しんぶん赤旗」であり、朝日新聞・毎日新聞・東京新聞でさえ「右より新聞」と書く人がいたのを記憶しています。
またある当事者ブログでは「活動家希望」とプロフィール欄に書かれていましたが、ここでいう活動家とは「極左活動家」のことでした。
こういう人たちに「アカ教師の反日自虐教育を正そう」と呼びかけても、逆に叩かれそうです。
「極右野郎!」「レッドパージだ!」「軍国主義反対!」「ファシズム倒せ!」
こんな具合に。教条主義で、少しでも自分と異なる考えの人を激しく攻撃する人たちですからね。
ただでさえ自閉症スペクトラム当事者は、自分こそ絶対正しいと思い込む「自分絶対主義」に陥りやすいのに、極左思想がそれに拍車をかけてしまう。悪しき相乗効果です。
このアカに染まった人たちは「発達障害当事者は、左の思想でなければならない」とも思っているような気がします。ひとくちに当事者といっても、ひとりひとりが違っていて、様々な人が存在するものです。思想信条が違うことだって、当然あるでしょう。
思想うんぬんを抜きにしても、自閉症スペクトラム当事者は「これは絶対、こうでなければならない」との硬直した教条主義に支配されていることが多いように感じられます。
この教条主義が、当事者間で頻繁に内ゲバが起こることの要因になってはいないでしょうか。極左暴力集団の内ゲバも、その教条主義ゆえの対立から発生する場合がほとんどですし。
そうなると、自閉症スペクトラム当事者世界は、アカの世界のコピーと化していることになります。これはろくでもない状況です。
やはり、これは反日自虐教育が諸悪の根源としか思えません。正さねばなりません。
今のところ、私のこの考えに同調・賛同する人はごく少数ですが、それでも主張し続けます。
日章旗を復興のシンボルに
今、日章旗は「復興のシンボル」の位置づけがなされている、といえます。日本の復活を信じ、この日本をよみがえらせようではないか、そんな思いを多くの人が日章旗に託しているような気がします。
さて、今なお日本国内のあちこちに存在している、アカ教師のみなさん。
日章旗を短絡的に「戦争のシンボル」と決めつけ、とことん日章旗を「悪」と教えたがり、日章旗の白地を赤く染め上げたくて仕方がない、アカ教師のみなさん。
これだけ復興への思いを日章旗に託す人が増え続けている現状を目の前にしても、まだ日章旗に対するネガティヴ・キャンペーンを展開し続けますか?
今は国民全体が、これからの復興のことを考えていかなければならない時期です。そんな中にもかかわらず、アカ教師たちはこんな考え方をしているのではないでしょうか?
「日の丸を何の意味かもわからずアイコンにつける、この風潮は危険だ。また侵略戦争が起きるぞ」
そんなことを言っている場合か、と思いますね。今は日章旗が復興のシンボルとして使われつつあるのです。ただそれだけです。戦争だの悪だのといった要素抜きで、実際そうなっているのです。
しかしアカ教師たちは、こういった現状を認めようとせず、なおも日章旗に対するネガティヴ・キャンペーンを続けるのでしょうねえ。もしそうだとしたら、日本のアカ教師たちは本当に狂っていると言わざるを得ません。
フラッシュバックから思う「攻撃的当事者」についてのこと
そこでふと思ったのです。こういった「攻撃的当事者」の一部は、自閉症スペクトラムの特性を知っていて攻撃を仕掛けているのではないか?と。
自閉症スペクトラムには「フラッシュバック」と呼ばれる現象がよく起こります。過去の忌まわしい記憶が突然よみがえってきて、それが元で精神的に参ってしまうのです。
私は最近、「攻撃的当事者」の一部が、このフラッシュバックで苦しめてやろうと狙って攻撃しているのではないかと思ってしまいます。当事者ゆえに、こういった現象が起こることを承知の上で。
この私も、ご他聞に漏れずフラッシュバックがよく起こります。それで精神的に不安定になることもしばしばです。この不安定になるときに、上記のようなことをつい、考えてしまいます。
以前私が受けた執拗な攻撃は、私がフラッシュバックで苦しむことに期待して仕掛けたものではないか?といったことを、考えたくもないのに考えてしまうのです。
まあフラッシュバックで他人を苦しめてやろうというのは大げさだとしても、攻撃的当事者が実際には存在しているときている、そういった現実があります。
そんな攻撃的当事者に、私はこう言ってやりたいのです。
「自分がされてイヤだと思うことは、他人に対してもするな!」
こういった攻撃をよくする人というのは、総じて自分が同じように攻撃されると「よくも私を攻撃したな! 許せない! キーッ!」と、取り乱したかのようにブチギレます。自分も同じことをしているくせに、自分への攻撃は許さない。まあ何とも自分勝手な考え方です。
ここで念のために書いておきますが、ここでいう「攻撃」というのは「意図的なもの」としての意味です。意図的でないのに他人を攻撃する結果となってしまう、ということはよくあることです。なのでここではそういった事例は除外します。あくまで「意図的に他人を攻撃する」者たちに対しての、私の意見です。
まあとにかく、攻撃的当事者にはそういった自分勝手な面が見られる、というのが私の考えです。
こういった自分勝手な人間にしないためにも、幼いうちから「自分がされてイヤだと思うことは、他人に対してもするな」ということを教えていくことが重要ではないか、そう思います。
続・アカい思想が当事者染めて
アカい思想が当事者染めて 2011-01-05
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-285.html
この記事に関して、ツイッターにて私と相互フォローしている方のひとりが、次のことを書かれていました。
反日教育はセルフエスティームを確実に下げる。そして発達障害の周辺には支援者も保護者も反日な人が多いような気がする。
私は反日思想にははっきりノーを言う。よその国を見れば、今日本人であることはそれ自体恵まれていることだとわかる。それに感謝せず無いものねだりばかり人が多いのはいや。そんなにこの国がイヤならよそで生きてみろと思う。
まったく同感です。アカ勢力が目立つ自閉症界隈の中にも、こういった考えをする方がいるのです。しかしこういった考えの人間は、まだまだ少数派……
上記ツイートにあるように、自己評価を高めることを阻害するアカ教師のみならず、支援者や保護者まで反日意識を持っているとなると、これは空恐ろしい事態といえなくはないでしょうか。これでは自閉症スペクトラム児は、イヤが上でも自己評価が低くなってしまいます。
そしてそのような支援者・保護者もまた、反日教育の産物なのかと思うと、悲しくなります。
自国を平気で貶める行為が、自己評価を下げることにつながると、お気づきですか?
日本人であることを恥だと思わせることが、ひいては自分自身を恥だと思うことにつながると、お気づきですか?
私は悲しいのです。
明らかに自閉症スペクトラム児にとって有害な反日自虐教育、およびそれを推進するアカ教師に対し、当事者も保護者も支援者も、異議を唱える人がこんなにも少ないことに。
これはもう、地道に呼びかけ続けていくしかなさそうです。
とりあえず、自閉症スペクトラムに何らかの形で関わっている人たちには、まず反日自虐教育とアカ教師のおかしさに気づいてもらいたいです。そしていつかは、それらに異議を唱える勢力が増えていってもらいたいものですが、おそらくまだまだ遠い日のことでしょうねえ……
ですが、私は主張していきます。何といっても、実際に反日教育を思い切り浴びて、実際に自己評価の低い人間となった身ですから。
アカい思想が当事者染めて
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-category-9.html
私自身、現在でも自己評価が低く自虐的になりがちで、ときに自分で自分を貶めてしまいます。それゆえ、これらの要因となっている反日自虐教育、およびそれをこどもに植えつけるアカ教師に対して、私はいい印象を持っていません。ゆえに当ブログにて、批判の言葉をつづった次第です。
本来ならば、これらは自閉症スペクトラム児の自己評価をさらに下げるものとして、当事者や関係者が異議を唱えるべきことであるはずなのです。
ところが、多くの当事者はこういった反日自虐教育やアカ教師に対して、何の異議も唱えないときています。それどころか、むしろ「戦時中の日本の残虐行為云々」「周辺諸国に謝れ」といったアカ教師の教えに同調しているかのような印象を受けます。
つまり、当事者の多くもアカ思想に染まっている、ということですね。
実際、当事者のブログを見てみると、よくわかります。いかにアカ思想に染まってしまっている当事者の多いことか。
アカ=弱者の見方という安直かつ短絡的な図式に引っかかってしまい、引きずり込まれる人が多いのでしょう。そして想像性の障害があるがために、物事を広い目で見るのが困難で、それで一度植えつけられたアカ思想から抜け出せないという人が多いのでしょう。
そういった当事者のブログによくみられる特徴、大まかに次のことが挙げられます。
・自分の意見こそ絶対正しいと思っている
・自分と少しでも異なる意見は認めない
・現在の自分の置かれている状況は、国や社会が悪いと考える
・定型発達者に対し、異様なまでの敵意をむき出しにする
これらから、アカの当事者は自分だけがかわいい、自分こそ絶対的弱者なのだから、もっと敬われるべきだ、そんな考えに支配されているように思えてなりません。少なくとも、私はあまり関わりたくないタイプです。
まあでも、そんなアカ当事者ブロガーの皆さんに対し、私から「考えを改めろ」などとは申しません。そもそも自分の自由な主張をつづるのがブログなのですから。
「思い込みと決めつけ」で他人を攻撃する者ほどタチの悪い者はない
で、そういった類の連中によく見られるのが「思い込みと決めつけ」で相手を攻撃している、という点です。
以前、とある出版社の社長が、とある当事者から「この会社から出している本の著者は、社長が演じている同一人物」などと、何の根拠もなしにネット上で喧伝し続け、挙句の果てにその出版社に脅迫までするという事件がありました。激しい思い込みと決めつけが、このような事態にまで発展してしまったのです。
私もそれによく似た「思い込みと決めつけ」の激しい当事者から攻撃に遭いました。ある当事者の名前をそのまま書いたことにつけこまれ「危険人物」「プライバシーさらし男」などと決めつけられました。
そして一方的な思い込みから、私は極悪人に仕立て上げられました。私の名前こそ書かれませんでしたが、その者は自閉症協会本部掲示板にまでそのような私の悪評を書き込み、2ちゃんねるにわざわざスレまで立てて激しい誹謗中傷をおこなったのです。
こういった「思い込みと決めつけの激しさ」というのは、どうも自閉症スペクトラムに見られる特徴のひとつのようです。上記の例の場合、それが極端に突出してしまったということでしょう。実に厄介です。
この手の連中に対しては、決して甘い態度をとってはならないと思います。「障害だから仕方ない」「障害ゆえの特徴なのだから、そこに配慮しなければ」といった考え方は、のちのちロクでもない事態を招く結果となることでしょう。
たとえ障害ゆえの特性であろうとも、他人を攻撃することは許されるものではありません。障害など関係なしに、奴らには制裁を与えなければなりません。それが真に「障害者をひとりの人間として扱う」ことでもあると思います。
なお、上記の私を攻撃してきた者は、今になって私に謝罪を考えているらしいです。ですが私はいっさい受け付けません。なぜなら、その者は一度「お詫びの言葉」を私に送ってきたにも関わらず、その後それを忘れたかのごとく、再び私への攻撃をおこなったからです。そんな人間など誰が信用できるでしょうか。
何かムカムカしてきましたので、あさって11月27日にチャレンジカップ開催中のボートレース唐津へ行って、スパーッと発散してきます。その前日の夜には福岡に入って、屋台めぐりでこれまたスパーッと発散させるとします。
「障害を言い訳にせず、努力していく」ことは「多数派への屈服」なのか?
その概要は以下のとおりです。
============================
Aさんがご自身のブログにて、
「自分は障害を言い訳にしたくない。社会に適応できるよう、努力していきたい」
との持論を展開。
↓
それを目にしたBさん、Aさんの主張をこう批判。
「それは多数派へのいいなりだ。障害を『よくないこと』だと考えている」
同時にAさんの当該記事も引用して掲載。
↓
Aさん、Bさんの記事引用に対し激怒。
「私を誹謗中傷した上、無断で私の記事を転載した。許せない。刑事告訴する!」
↓
Bさん、反論。
「刑事告訴? 私は何も悪いことはしていないのに、犯罪者にされてしまった。これこそ私に対する名誉毀損」
↓
その後、Aさんのブログの常連読者が、コメントでAさんをいさめる。
「早まるな。それより他者の意見を取り入れて、その上で行動すべきだ。それかもう、相手のブログを無視せよ」
↓
それを受けたAさん、考え直して告訴をとりやめ。
↓
事態はひとまず収拾したものの、BさんはなおもAさんに対し「人格攻撃、捏造」と、Aさんを責め立てる。
一方Aさんは常連さんの言に従い、Bさんをスルーするようになった。
============================
まあ何というか、発達障害特有の対立の仕方だなと感じました。やはり当事者同士の融和など、夢のまた夢なのですかねえ……と、大いに落胆させられた一件でした。
Aさんは「障害を言い訳にせず、適応する努力をしていく」
Bさんは「少数派としての権利を守れ。社会に屈服はしない」
まさに相反した考え方です。お互いに譲歩できないゆえに、ちょっとした意見の相違が誹謗中傷だ、刑事告訴だ、名誉毀損だと物騒な言葉が発せられるまでに至ってしまったといえます。
当事者間の内ゲバを生じさせる要因が何なのか、この一件を傍から見てよくわかったような気がします。
さて、こういった相反するふたつの主張がここで出てきたわけですが……
私はどちらかというと、Aさんの考え方に近いです。私も以前↓にて「世の中にできるだけ適応していく。過度に要求はしない」と書きました。
社会に歩み寄ることも大事です 2010-04-11
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-157.html
Aさんはきちんと、ご自身の障害と向き合っている印象を受けました。それゆえ、自分がひとりの人間として生きるには何をすればよいか、をしっかりとお考えのようで、私はその点に好印象を抱きました。
感情的になると衝動的にとんでもない考えや発言をしてしまう、だがそうなっても今一度考え直して自分を見つめなおしていくように努めている。そんなところも私によく似ているなあと思います。
一方のBさんは、何だか「自分は悪くない! 悪いのは世間や社会だ!」とダダをこねている印象を受けました。そして全体的に主張が後ろ向きでした。私はこういった主張をする人が苦手です。
加えて「当事者主権」「搾取」といった言葉も出てきて、この人は妙なアカ思想にとりつかれているのではないか、とも感じました。実際のところ、発達障害当事者ブロガーにはこの「妙なアカ思想」にとりつかれている人が結構多いのですよねえ。
なお、こうした「世間や社会のせいにすること」についても、以前↓書きました。
「自分は100%問題なし」と考える当事者に異議あり 2010-09-06
http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-228.html
どうもAさんや私のような考え方をする当事者は「社会に対して屈服している」とレッテルを貼られ、非難の対象となりがちです。そうではなく、社会の一員としてどうあるべきかを模索し続けているだけで、屈服などしているつもりはないのですがねえ。世間社会が悪い派には、そうは映らないのでしょう。
まあ世間や社会のせいにしたがる人たちに関しては、別にそういう考え方でもこちらは構いません。こちらはこちらで、日々社会への適応を考え続けていくとしましょう。
ただ「社会に適応できるよう努力していく」人たちを悪し様に言うようなことは、しないでもらいたいです。
(追記 2010-11-02)
miracleさん+BerryGarden様(http://miraclemiracle.net/2010/11/post-442.html)が本記事をとりあげてくださいました。ありがとうございます。